今日は数年ぶりに、帯広の真鍋庭園に行きました。
どちらかというと、お花よりも木が多いので洗練された庭園というわけでは決してないのですが、心惹かれてしまう場所です。
唯一と言うと失礼な話ですが、「リスの教会」という鐘を鳴らす広場があります。
冠婚葬祭の鐘のような華やかさもなく、除夜の鐘のような荘厳さもなく、
のど自慢の鐘ひとつ、のような乾いた響きに近く、その無骨さがまた私の心をくすぐるポイントでもあるのです。
ここは、自然と人間との交わるバランスがなんとも心地いい。
依存するわけでも、期待するわけでも、競争するわけでもなく、要求するわけでもなく。
ただ在ることを認めて、ただお互いを認めている。
今回もいい写真を撮ろうと気合を入れて一眼レフを持って行きましたが、実際にその場に立つと、自然の美しさに圧倒されて、いい写真を撮ろうという気持ちがどうでもよくなるほどでした。
そして結局はiPhoneで撮ってしまうという。
小さい頃、白樺の木は白いペンキで塗られているんだと思っていました。
自然と対峙すると自分はちっぽけで無力で、でもそれでいいんだということに気づかされます。
行きのJRの中で水木しげるさんの人生に触れて、心が震える瞬間を持つことが、生きることなんじゃないかと涙が止まりませんでした。
本当に大切なことを、忘れていないだろうか。
この池の、透明な底を見ることができたり、表面に映った空を見ることができたり。
私が今見ているこの世界は、どこなのだろうと思いながら、
夜は鳥せいでお肉をたんまり食べ、モール温泉を堪能しました。